嘉納治五郎の名言と強さとは!?身長と体格及びオリンピックとの関係!!

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今、NHkの大河ドラマ「いだてん」にも出てくる、

柔道の生みの親で、オリンピックとの関係も深い嘉納治五郎。

講道館を設立した彼は、若い時から語学を学び、

英語なども話せたそうです。

今日は、そんな嘉納治五郎の名言と強さ並びに、

身長や体格、そしてオリンピックとの関係についてです。

嘉納治五郎の名言と強さとは!?身長と体格及びオリンピックとの関係

嘉納治五郎は明治の前に当たる万延元年10月28日に兵庫県で生まれました。

東京大学在学中から天神真楊流,起倒流の柔術を学び、

柔道を創始し、明治15年(1882)講道館を設立しました。

日本初のIOC委員など、数々の役職を務め、

今でも多くの柔道家のみならず、

他の武道家からも数多く尊敬されています。

嘉納治五郎の名言について

嘉納治五郎は柔道を単なる強弱を競う武術としてだけでは無く、

人間教育の場であると捉えていました。

その辺は前の記事での少林寺拳法開祖、宗道臣とも相通じるものも有り、

事実、少林寺拳法教範にも嘉納治五郎を評価する記載が有ります。

それでは、そんな嘉納治五郎の名言を幾つかご紹介します。

・”勝って、勝ちに傲ることなく、負けて、負けに屈することなく、安きにありて、油断することなく、危うきにありて、恐れることもなく、ただ、ただ、一筋の道を、踏んでゆけ。

・人に勝つより、自分に勝ちなさい。

・時間を最も有効に利用した者に、最も立派な仕事ができる。

・何事も、初めからうまく行くことは、少ないものだ。

・人生はいろいろな難関に出くわす。難関が次から次へとやってくるから面白いのだ。恐れをなしちゃいけない。

・人生には何よりも「なに、くそ」という精神が必要だ

・自分の心に生じる欲望に打ち勝つのは、敵に勝つよりむずかしい。

現在でも通じる素晴らしい名言だと思います。

嘉納治五郎の身長と体格及び強さ

嘉納治五郎の身長と体格は決して恵まれたものでは無く、

身長も小さく腕力も弱かったようです。

その為、彼は柔術を習ったそうです。

嘉納治五郎の強さについては、

さすがに、後に四天王と呼ばれる人たちには及ばなくとも、

実は、このようなエピソードが有ります。

ロシアの体の大きい人に嘉納が、

「私なら、あなたを押さえつける事が出来る」

と言い、ならばとやってみた所、全くその大男は動けなかったそうです。

頭に来たそのロシア人は実戦勝負と言わんばかりに、嘉納に飛びかかりましたが

簡単に、投げ飛ばされてしまったそうです。

この時、嘉納はとっさにロシア人の手を引き寄せ、

頭から落ちるのを防いだそうです。

そう、これこそが柔道の精神であり、教えなのです。

相手を殺す為の武術では無く、生かすための武術。

ロシア人は感銘を受け、嘉納に教えを乞うたそうです。

ロシアの柔道熱が高いのは、

このようなエピソードが有ったからなのかも知れませんね。

現に、ロシアのプーチン大統領は大の柔道好きで有名ですからね。

嘉納治五郎とオリンピックの関係

最後に、

今、NHkの大河ドラマ「いだてん」で役所広司さんが演じていますが

嘉納治五郎とオリンピックの関係についてですが、

日本がオリンピックに関わるようになったのは、

嘉納治五郎が、1909年に国際オリンピック委員会(IOC)委員に

日本人として初めて就任した事から始まります。

当時の嘉納治五郎は、柔道のみならず、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長も務め、

テニスやサッカー、さらには水泳や長距離走など各種のスポーツを学生たちに行わせる体育に熱心な教育者でした。

嘉納は誰でできる運動として徒歩、長距離走、水泳、そして柔道をあげていたそうです。

さらに、柔道や体育活動で得た道徳的な価値が、

「社会生活でも実践されるべき」と考えていたそうです。

当時のIOC会長であったクーベルタンは、

嘉納のような人物を仲間に加えることを求めていたそうです。

日本で初めて開催された1964年東京オリンピック。

そこから遡ること28年、

東京は、すでにオリンピック招致を成功させていました。

その中心人物こそ柔道の創始者にして教育者の嘉納治五郎その人だったのです。

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