金栗四三の子孫と東京オリンピックとの関係!墓はどこ有る!?

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今年のNHkの大河ドラマ「いだてん」での

前半の主役は金栗四三ですが、

大河ドラマでは歌舞伎の中村勘九郎さんが好演していますね。

ちなみに、読み方は、

金栗四三(かなくり しそう)と読みます。

金栗四三の名はオリンピックマニアなら

その名を知らない人がいないほど有名ですよね。

今日は、そんな金栗四三の子孫と東京オリンピックとの関係、

そしてお墓についてです。

金栗四三の子孫と東京オリンピックとの関係!墓

金栗四三の子孫と家系図

実は、金栗四三の子孫がどのような人生を送られたのかは

あまりようよくわかっていません。

ただ、このような話が有ります。

2012年7月に、二人の男性がスウェーデンの

ストックホルムに招待されました。

一人は金栗四三の出身地の首長である熊本県玉名市市長・高嵜哲哉氏

そしてもう一人が、蔵土義明(くらどよしあき)さんという方で

実は、彼の祖母が金栗四三の娘で、

蔵土さんは金栗四三の曾孫に当たります。

オリンピック開催100周年を記念して、

ストックホルムでは、100年前と同じマラソンコースを走る

オリンピック開催100年記念マラソン大会の開催に伴い

金栗四三の功績を称えた顕彰プレートの除幕式を行なう為、

二人を招待したそうです。

蔵土義明さんはマラソン大会の前日に、

ストックホルム郊外に住むタチアナ・ペトレさん宅を訪問したそうです。

この、タチアナ・ペトレさんは100年前に、

ストックホルムオリンピックのマラソン競技に参加した

金栗四三が体調を崩し倒れたときに、

これを介抱して助けたペトレ氏のひ孫に当たります。

ペトレさんは、蔵土義明さんを大いに歓迎し、

金栗四三のゴールインの話題や、

100年前の曾祖父同士の交流に花を咲かせたそうです。

金栗四三は、1891年(明治24年)8月20日、

熊本県玉名郡春富村(現在の玉名郡和水町)で父、信彦、

母、シエの間に4男、4女の

8人兄弟の7番目の子供として生まれました。

のちに、23歳の時に一つ年下の春野スヤと結婚します。

春野スヤは、同郷熊本県玉名郡出身の医師の娘でした。

その後、6人の子供に恵まれ孫も存命中に10人ほどいたそうです。

結構な、大家族だったようです

金栗四三と東京オリンピックとの関係

日本人で初めてオリンピックに出場した選手は、

三島弥彦と金栗四三です。

二人は、講道館柔道創始者で日本人のオリンピック参加に意力を燃やした

嘉納治五郎によって日本人初と成るオリンピック出場を成し遂げました。

1911年(明治44年)に2年生になった金栗は、

嘉納治五郎の勧めもあったのか、徒歩部(現在の陸上部)に入部しました。

ここから、金栗四三の陸上競技者としての人生が始まったのです。

嘉納治五郎は、1909年に、東洋で初めてのIOC(国際オリンピック委員会)の委員になりました。

IOCの創設者がクーベルタンであったこともあり、オリンピックの公用語はフランス語と英語になっていたそうです。

1896年から第二代IOC会長となったクーベルタンは

4回までのオリンピック大会にアジアからの出場がなかったため、

大会をより世界的で国際的なものにしたいと考え、

アジアから日本のオリンピック参加を促そうとします。

その為、当時の駐日フランス大使にIOC日本代表委員の推薦を依頼したところ、

嘉納治五郎が推薦されました。

それにより、

1909年のIOC総会で日本そしてアジア人初のIOC委員に選出されたのでした。

さらに、1911年には(明治44年)に大日本体育協会(現・日本体育協会)を設立して自ら会長となり、

1912年の日本の初めてのオリンピック参加に向けて尽力をしていくのです。

ちなみに、

日本体育協会は、平成元年にここから日本オリンピック委員会(JOC)が独立を果たしています。

東京オリンピックは、金栗四三と言うより嘉納治五郎の功績が大きいのですが、

日本人初、そして陸上競技の父と言われる金栗四三の功績は、

やはり、大きいと言うしか有りませんね。

金栗四三の残した功績の一つに、

誰もが知っている「箱根駅伝」が有ります。

箱根駅伝のコースを決めたのは金栗四三です。

陸上競技者なら誰でも知っていると言われている理由も

良く解りますね^^

金栗四三のお墓

金栗四三のお墓は、熊本県玉名市山部田(上小田)で、

実際に彼が暮らした場所が見渡せる高台に有るそうです。

そこに彼は、妻である春野スヤ、

義母である幾江と共に安らかに眠っているそうです。

お墓の前には「体力・気力・努力」と書かれた記念碑があります。

1983年(昭和58年)11月13日に92歳で亡くなりましたが、

「体力・気力・努力」

という言葉は、彼が生前に残した言葉です。

これは、スポーツマンにとってはどれ一つも欠かせない、

大事な名言だと思います。

金栗四三を主人公にした、

NHk大河ドラマ「いだてん」も、

このような視点から見る事で新たな楽しみも増えるかと思います^^

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